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「野獣死すべし」(昭和55年 監督:村川透)

  • 2010/01/25(月) 00:04:42

 人には人の道がある。宗教であったり、倫理であったり、社會のルールであったり。もし、そこを踏み外すことに快楽を見出し、むしろ徹底して踏み外すことによってのみ己の眞のアイデンティティーは確立するものだと思ひ込んで、そのやうな快楽を貪り始めたらどうなるものか。

 主人公は、出版社の戦場カメラマンとして紛争地帯を渡り歩いてゐた。しかし、彼の寫眞は、あまりにも過激で、報道機関で採用されなかった。やがて彼は日本に呼び戻され、飜訳の仕事をあてがはれるが、彼がかつての戦場で達したエクスタシーは、この日本では到底得られるものではなかった。彼は人であることを捨て、彼の言ふ「野獣」となって、殺戮を繰り返す。かつて戦場で人を殺めたことにより達したエクスタシーを求め、眞のアイデンティティーを確立して「神を超える」存在となるために…

 主人公の殺戮の片棒を担ぐ青年(鹿賀丈史)の獸のやうな凄まじい形相は、まだ人のやうにも見える。しかし、主人公(松田優作)の死人のやうな、表情のない顏つきは、もはやそれが人のものであるとは思へない。彼は、偶々出會した暴走族風の男とその女、そして片棒の青年の死體が無惨に横たはる暗闇にて、どこからか入り込む蒼い月の光を全身に浴びながら、左手を高々とあげ、静かに人差し指を天に突き上げ、「神を超えた」エクスタシーに浸る。

 松田優作は、この主人公の伊達といふ男を強烈に、見事に、見る者の心の中に植ゑ付けた。話が作り話であるか、それとも実際の話であるかなど、もはやどうでもよくなるまでに、演じ切ってしまった。彼がこのやうな人間をこの世に生み出してしまったことを、果たして神はどのやうにご覧になったのであらうか。
 
 
 

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