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ユーフォニアムの外囿さん、テレビに出演

  • 2011/04/22(金) 05:15:40

スクールLiveShow for TEENS
http://www.nhk.or.jp/sls/teens/index.html

ユーフォニアムの名手として外囿祥一郎さんが登場します。

4月22日(金)18:55~19:25 NHK Eテレ(教育)
(再)23日(土)12:00~12:30 NHK Eテレ(教育)

ついでに楽器紹介で、私の ユーフォニアム B&H IMPERIAL サテンシルバー の画像が使はれるさうです。

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東日本大震災復興応援自由演奏会@桜木町

  • 2011/04/04(月) 11:04:40

 東日本大震災復興応援自由演奏会@桜木町に参加してきました。
 http://www.bandpower.net/news/2011/03/06_jiyuu/01.htm

 桜木町駅前 コレットマーレ(動く歩道横)1階エントランス前での演奏でしたが、とんでもなく寒く、休憩時間には店内で暖を取ってゐました。

 あまり寒さに、無印良品でスパッツを買はうとしましたが、もう4月です。男性用は置いてませんでした。仕方なく女性用XLを買って、トイレで着替へました。

 それにしても寒くて、演奏中もガタガタ震へてしまひ、いやぁ、身体が贅沢になって、辛抱が利かなくなったと、つくづく思ひました。

 ユーフォ、テューバパートの一部
 euphtuba.jpg

 演奏曲目は、

 ブロックM
 吹奏楽のための民話
 陽はまた昇る
 桜の木になろう
 ありがとう
 さすけねぇ
 アルセナール
 ルパン三世
 上を向いて歩こう

 「陽はまた昇る」
 The Sun Will Rise Again
 for the victims of the Japanese earthquake and tsunami, March 2011
は、P.スパークが東日本大震災の復興を願って作曲したものです。スパークらしい、綺麗な温かい響きのする曲でした。今年、あちこちで聴かれるやうになるでせうね。

 「さすけねぇ」は、福島県、会津は喜多方に住む私の後輩、細川佳那枝女史の作曲。もともと「きたかた喜楽里博のテーマソング」だったものを、今回の震災からの復興を願ったヴァージョンにしたもの。「さすけねえ」は、「大丈夫」の意味ださうです。彼女らしい前向きな歌詞と、ほのぼのとしてローカル色豊かな響きの曲です。

 

 「宝島」では、ソロ部分を増やしての演奏でしたが、名乗りをあげた方の一人が行方不明になったのか、曲中に指揮者から指名されてしまひました。のんびりしてゐたので、かなり慌ててしまひましたし、準備も何もしてないので、文字通りのアドリブ。上げたい音に上がらなかったり、「あれ、このフレーズさっきやったよな」とか、「あれ、元のソロと同じフレーズになった」とか、「この音はないよな」とか、メロメロでした。

 お客さんに聴いていただけるレヴェルには程遠いですが、伴奏とリズムを体で感じながら、全神経を集中して、その場で音楽を作り出すことは、とても厳しく、容赦なく、楽しく、挑戦したくなる、といふことを思ひ出しました。自分の音楽経験も、感覚も、瞬発力も、奏法も、全てが露になるわけです。

 正直な話、震災復興を応援しようといふ程の思ひはありませんでしたが、自助協力「自らを助け、而して他に力を貸すべし」といふ思ひを抱いた一日でした。

 私をはじめ、日本国民が自分自身を見捨ててしまったら、その時こそ日本の終はりなのでせう。


【おまけ】
 CONNの1918年頃のE♭バステューバを購入し、ホクホク顔の杉山淳氏。
 bossjun.jpg
 

大江戸捜査網とインヴィクタ序曲

  • 2011/01/25(火) 00:02:16

 「大江戸捜査網」といふTV番組のテーマは、子供心に格好良くて好きだった。中學校で吹奏樂を初め、この曲とそっくりの「インヴィクタ序曲」といふ曲を吹奏樂コンクールで聽き、なんだこりゃ「大江戸捜査網」にそっくりだと思った。「大江戸捜査網」も「インヴィクタ序曲」もどちらも好きだった。

 さて、昨年、「大江戸捜査網」の作曲者である玉木宏樹氏が、「インヴィクタ序曲」を初めて聽いたらしく、 twitter 上で激しい怒りをぶちまけてゐる。

# 「大江戸」をパクった「インヴィクタ」絶対に許せない。資料を探すと1979年11月にCBSソニーから映画化記念盤「大江戸捜査網」のLPが出ている。演奏も録音も非常に秀逸で、これがパクリのタネだと思われる。向こうの出版が1981年だからね。CBSからアメリカに情報が流れるのは容易。 6:57 PM Nov 15th, 2010 via web

# このインヴィクタの件、特に吹奏楽関係の人、ドンドン噂を流して下さい。そして、アメリカの作曲家にも噂が届くようにしたい。プロの作曲家ならこれはパクリ以外の何物でもないのはすぐ分かる。皆さん、ドンドン噂の拡散をお願いします。 7:00 PM Nov 15th, 2010 via web

# インヴィクタの件、はらわたが煮えくり返って食欲がなくなった。 7:07 PM Nov 15th, 2010 via web


 今年になっても、

# 私の「大江戸捜査網」をパクったアメリカ人の「インヴィクタ序曲」絶対に許せない。Youtubeに「大壊疽捜査網テーマ」アップしたので、よく聴いてみて下さい。私の作曲の方が約10年、先行しています。 http://youtu.be/lyg2CFlFptA?a Sun Jan 23 13:24:57 2011 via web

# 私の「大江戸捜査網」をパクった米人の「インヴィクタ序曲」絶対に許せない。Youtubeの「大江戸捜査網テーマ」よく聴いてみて下さい。私の作曲の方が約10年先行。 今までにも吹奏楽関係者から支援の言葉を頂いています。http://youtu.be/lyg2CFlFptA?a Sun Jan 23 18:06:16 2011 via web


と、一向に怒りがさめやらない樣子。

 これを「盗作」と言ふのかどうか、事實關係を全く知らないし、もとより作曲の專門家ではないから、判斷がつかない。玉木氏には「お氣の毒に」としか言ひやうがないのだが、「皆さん、ドンドン噂の拡散をお願いします」といふ、玉木氏の根性が氣に喰はない。

 相手が誰なんだか判ってゐるのだし、大人なのだから、「食欲がなくなった」だの、「吹奏楽関係者から支援の言葉を頂いています」だの、2ヶ月も經ってもまだ「絶対に許せない」(「絶対に許さない」とは書いてゐない)などとブツブツ言ってゐないで、自分で正々堂々と相手に抗議するべきである。

 取り巻きを多く作りたいのだか、問題を大きくして相手にプレッシャーを與へたいのだか、よく判らないが、世間の同情を引いてそれを利用しようとする、最近の年寄りらしい、實に姑息な行動のやうに感じてしまふ(ここ參照)。いっそのこと、隠密同心にでも依頼したらどうかと言ひたくもなる。

 「大江戸捜査網」のスケールの大きい音樂も、ドラマの内容も好きだったが、この曲の作者はいつからこんなにスケールの小さい人になってしまったのだらうか。お氣の毒とは思ひつつも、非常にがっかりさせられた。
 
 玉木さん、こんな風に噂を拡散されても、お氣に召すといふのでせうか?
 

ずっとこれが聽きたかった!

  • 2010/07/31(土) 23:29:04

黛俊郎作曲「NNNニュースのテーマ」フルバージョンです。



いいなぁ。

そして、同じく黛俊郎作曲「スポーツ行進曲」
なつかしい映像と共にどうぞ


銅鑼が入ってる行進曲も珍しいです。黛俊郎氏のセンス、結構好きです。

プロレスつながりで、テレビ朝日でかつて使われていたスポーツテーマ(曲名、作曲者探索中)も、いってみませう。大好きな曲でした。



格好いいですね。

後世に遺したい吹奏楽曲

  • 2009/12/28(月) 18:11:46

 時々、吹奏楽雑誌なんかで行はれる企画みたいですが、自分にとって「後世に遺したい吹奏楽曲」といったら、何だらうと思ひ、ざっと、書いてみることにしました。

 「古典序曲」フランソワ=ジョセフ・ゴセック作曲
 「ハルモニームジークのための序曲」フェリックス・メンデルスゾーン作曲
 「軍楽隊のための組曲 第一番、第二番」グスタフ・ホルスト作曲
 「リンカンシャーの花束」パーシー・グレインジャー作曲
 「交響曲 変ロ調」パウル・ヒンデミット作曲
 「主題と変奏」アーノルド・シェーンベルク作曲
 「ハンティングタワー」オットリーノ・レスピーギ作曲
 「ディオニソスの祭」フローラン・シュミット作曲
 「交響的断章」ヴァーツラフ・ネリベル作曲
 「カディッシュ」フランシス・マクベス作曲
 「ニューイングランド三部作」ウィリアム・シューマン作曲
 「ドルイド」ロルフ・ルーディン作曲

 一般の吹奏楽団では、なかなか採り上げられない曲が多いですね。リードもスパークも天野なんとかも樽谷なんとかも八木澤なんとかも入ってゐません。かういふ曲を演奏会の候補に勧めても、「オタク」と思われるのがオチです。

 ただなんとはなしに「お客が飽きるから、一般の人が知ってさうな曲や、親しみやすさうな曲が良い」といふ風に思はれるのでせうが、実際はどうなのでしょう。

 そのやうな意見に疑問を呈すと、「自分達が楽しむためにやってるものを、わざわざ聴きにきてもらうんだから、聞きやすいものの方が良い」といふ意見に集約されてきます。これは、もう、演奏会=発表会、学芸会、お遊戯会といふ発想が根底にあります。どの曲でも、全員が「乗り番」といふのも、この発想のお陰です。

 つまり、楽団員が、素人ながらにも芸術作品に触れて、日曜芸術家としてそれを演じたいといふよりは、自分達が楽器を吹くことを楽しむための時間にしたいといふ趣が強いのです。それなのに「お客が聞きやすい曲」をやるべきだと考へるのは、「お客のため」と言ひながら、本当はお客のことなど二の次にしてゐる上に、さらにそのことに気づいてゐない(故意に気づかうとしないのか?)、といふ二つの問題があるのではないかと思ひます。

 と、まぁ、このやうなことが選曲会議や、飲み会などで出てくると、必ず「いいぢゃん、やりたいやうにやれば、みんな考へは違ふんだし」とさえぎる人がゐます。しかし、問題は、その「違ふ考へ」は多数決で消えてしまひ、廃棄されるだけ、といふことなのです。例へば、「やりたいやうにやった」結果が、芸術に見向きもしない方向に行ってゐて、少なからず芸術といふもの、表現といふものを考へて活動したい人のやりたいようには、少しもなってゐないといふことにもなるわけです。大体、やりたいやうにやってゐる人ほど「やりたいやうにやればいいぢゃん」と言ってゐるのですから、本当に身も蓋もありません。

 そんなことが、どこの楽団でもあるのではないかと思います。本当は、一度、格好いいうたひ文句無しに、腹を割って「如何に取り組みたいか」を考へてみる必要があるのでせうね。それで、自分の方向と、楽団の目指してゐる方向が合はなければ、そこで無理して続ける必要もないわけです。

 ピカソの絵はわかり難い絵ですが、特別展が開催されれば、絵なんか普段見ない人だって美術館の前に並ぶわけです。わからないけれども、作者の何かを感じたくて、わざわざ来るわけです。で、見るけれどやっぱりわからない。しかし、お客が駅までの道すがら、ありゃ一体何を表現しようとしたのか、と思ひながら帰ったのであれば、それは芸術として成功したといふことなのかもしれません。

 「指揮者の先生に怒られるから」「文句を言ふ人がゐるから」といふことではなしに、「お客さんや作曲者のためにピッチやアインザッツや表現を訓練してゐる」、そんな風に考へて活動してゐる楽団なんて、ないのでせうかね。