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ユーフォニアムとカレーと仁義なき戦い
徒然なるままに
ふと思ひ出づる、南保先生のこと その3
 先生が亡くなられる年の3月、第25回渋谷区青少年吹奏楽団定期演奏会を終へられた後である。練習に顔を出すと、渋吹の今後についてOBの皆さんとお話をする機会が欲しい、ついてはよく參加してくれるOBに聲をかけて欲しい、と先生から持ちかけられた。早速數名のOBに聲をかけ、段取りを組んだ。その會合の數日前、私の留守中、先生からお電話をいただいた。検査で入院するので、折角だけれど欠席させて欲しい、渋吹の今後について、OBで話し合って欲しい、と。OBの誰が來たか、何を話したか、そもそもそんな會合をやったかどうかも、今は記憶にない。そして後日、渋吹育成会の方から、先生が入院されたこと、既に酸素吸入器をつけられてゐるといふことを伺った。

 ご病床の先生をお訪ねすることは、私には出來なかった。お伺ひしてはいけないのではないか、といふ思ひであった。そして、きっと先生は、ご自分の姿を生徒に見られたくないであらう、と思はれてならなかった。最期まで、ご病氣のことを、私達生徒には仰らなかったのだ。

 先生との最期は、前述のOBとの會合を持ちかけられた日だった。私はその日、何年ぶりだらうか、先生から怒鳴られた。渋吹のミーティング中、講師の先生と話をしてゐたところ、先生は間髪入れず、「私が話をしてゐるときに喋ってちゃいけない」と怒鳴られたのだ。鋭い眼と、全身にみなぎる氣迫に、身が引き締まった。私は最期まで先生にご心勞を追はせてゐたのかと思ふ度に、出來損なひで申し譯ないといふ思ひになる。

 今年私は結婚した。出來ることなら先生に妻を、この世で紹介したかった。きっと、「まぁ」と言って、顏をしわくちゃにして、ニコニコと迎へて下さったに違ひない。歴史とはまことに惜しいものだ。妻を娶ると決めた時には、先生はもう他界されてゐた。少し遲かった。

 先生が亡くなられた翌年、私は妻になる相手と一緒に、箱根神社を訪れた。ここに先生は眠ってをられる。先生がいらっしゃる筈の雑木林に行き、二人で參拜した。どうしても先生に會って貰ひたかったのだ。他人は、それは私の自己滿足に過ぎないと言ふかもしれないが、私はとにかく、自分の喜びをお傳へし、そして先生にご安心いただきたかったのだ。

テーマ:日記 - ジャンル:日記

ふと思ひ出づる、南保先生のこと その2
 先生が亡くなられる前の年のことだった。音樂の專門教育も受けてゐない私に、小學校の授業でマーチングバンドの指導をやってくれないかと持ちかけられた。私は、お引受けした。しかし、先生、樂器のことなら渋吹の先生や、專門の先生をいくらでもお呼びできるでせうに、どうして私に、と言ふと、「貴方がゐると、引き締まるのよ」とのご返答であった。以來、氣が付けば5年も指導に通ってゐる。

 先生が小學校の現状をどのやうに憂慮されてゐたかは、この時は全く氣がつかなかった。しかし、指導を重ねるうちに、大變な事態になってゐることが、感じられてきた。確かにラッパを吹ける人や指導できる人は澤山ゐるであらうが、この事態を深刻に捉へて、身體を張って取り組まうとする人は、少ないのかも知れない。いや、年中現場にゐると、より困難な状況なのかも知れない。私は未だに、どうして先生は私に聲をかけられたのかと思ひつつ、この事態に對して、私はどうすべきなのかを考へ續けてゐる。

 指導を始めて一月ほどして、歸る道すがら、先生をお訪ねした。毎日のやうにいらっしゃった社会教育館の一室を訪れると、足下にヒーターを焚かれながら、椅子に身體を預け、目を閉ぢ、ぐったりとされた先生がいらっしゃった。二、三回先生のお名前をお呼びして、やうやく先生は目を開けられ、あら、といふ表情をされた。何だかこの頃疲れてゐて、ごめんなさいね、と仰るお顏には、以前のやうなふくよかさはなくなってゐて、何だか身體中の全てのエネルギーが、體外に音を出して抜け出ていってゐるやうな印象を受けた。「學校の方はどう?」と訊かれ、授業の始めには起立と禮をして、平氣で遲れてくる生徒を怒鳴りつけ、樂器をぶつける生徒には腕立て伏せをさせ、云々といふ話をすると、先生はニコニコとうなづきながらそれを聽いてをられた。話は私の近況となり、最近急に太ってしまっことを申し上げると、あら、男の人は貫禄がなきゃダメなんだから、それでいいのよ、と宥めて下さった。

 すっかりお痩せになり、肩の落ちた先生に、玄関までお見送りいただき、お別れの挨拶をした。家路につきながら、どうも先生のご樣子が氣にかかってならなかった。

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ふと思ひ出づる、南保先生のこと その1
 東京は澁谷の中學校に、名物先生がをられた。お名前は「南保 瑛」先生。もしかすると、そこにゐる貴方、一度は先生のお名前で検索をかけたことがあるのではないか? いや、現に検索でこのページにたどり着いたのではないか? 貴方も先生に怒鳴られたお一人か? 殘念なことに、先生は平成15年の初秋に亡くなられた。

 私が中學生の時は、すぐ隣の地区のS中學校で音樂の先生をされてゐた。ずんぐりむっくりしたオバちゃん體型に、鋭い眼光、他校の生徒も容赦なく怒鳴りつける、大變に印象に殘る先生だった。私が大變お世話になったのは、渋吹(渋谷区青少年吹奏楽団)のOBとして、練習に顏を出してゐた頃からだったので、大體20年くらゐ前からだらうか。

 私は渋吹の厄介なOBだった。いや、どこへ行っても厄介者なのだらうが。講師の先生には歯向かひ、團員には厳しかった。そんな私をぢっと見守って下さったのが、南保先生だった。先生の「本當は貴方が言ふやうな集まりでありたいのよ」「私も貴方の歳には、學校中の先生と喧嘩したものよ」「貴方がゐると、引き締まる」「貴方は他の人と違ふところから、物事を見てゐる」「人付き合ひで損することも多いでせうけど、他の人が見失ってゐる大事なところに氣が付いてゐる」といふお言葉に、何度救はれた心地がしたことか。私は相當に偏屈な人間のやうに言はれることが多いのだが、先生は「みんなが貴方のやうに平らかに取り組んでくれたらいいのだけれど、みんな思惑があるからね・・・」と言って下さったこともあった。

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近況
 新婚旅行へ行ってきました。オーストリアはウィーンと、フランスはパリでございます。

 まづは音樂関連のことを、サイトの談話室に掲載してゐる(とっとと文章にしないと忘れてしまふので)のですが、あんまり内容が濃いので、「奥さん可哀想」といふクレームがきました。勿論普通の旅もしてまっせ(笑)。それは追々こちらで。

 それと、6/29(日)に、久しぶりのオフ會を行ふことにしました。詳しくは、オフ會專用掲示板にて。テューバマンショーのレパートリーも持って行きまっせ >ユーフォマンさん

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擧式
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 4/20大安吉日、大學の恩師と奥樣にご媒酌頂き、北は北海道、南は九州、さらにイギリスよりお出で頂いた皆樣に見守られながら、飯田橋の東京大神宮で結婚式を擧げました。

 私には、人生の重大なる轉機が、三度ありました。一つは中學生の時に巡り會った「音樂」、もう一つは大學生の時に巡り會った「學問」、そしてニードの時に巡り會った「伴侶」。自分に重大な轉機を與へて下さった方々、言ふなければ、自分が如何に生きてきたかを映し出す鏡とも言ふべき方々が一堂に會するといふ、とんでもなくお目出度い日を迎へることが出來て、感無量でした。

−新郎による、披露宴の締めくくりの言葉−
 本日は、北海道、九州、そしてイギリスからはるばるお出で頂き、まことに有難うございました。私も、妻も、これまで、平坦な、ストレートな生き方をしてきたわけではありません。他人より五年、十年と回り道をして來ました。しかし、回り道をしてきたからこそ、澤山の方々からご縁を頂き、本日かうして祝福して頂けたのではないかと思ひます。二人が一緒になったからと言って、それで人生が樂になるものではないと思ひます。とにかく健康で、そして少しは幸せに生きていきたいと思ってをります。本日は、どうも有難うございました。


テーマ:ひとりごとのようなもの - ジャンル:日記